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  • 執筆者の写真プロデューサー Renji Fukuyama

『ロックで療育』に寄せられた声。

先日発売となったビリー諸川著『ロックで療育』(人間と歴史社)に寄せられたある女性からのメッセージです。(ご本人には了承を頂いております)

この一冊の本がひとりでも多くの方に届くことを願いここに掲載させて頂きました。



「魔法の本」

ビリー諸川さんの「ロックで療育」読ませて頂きました。

この本の内容に出てくる子供達は、幼かった頃の私自身でした。

私と私の息子の長男は広汎性発達障害、学習障害があり私自身は40歳を過ぎてから診断されました。

私も息子も見た目には普通なので周りからは誤解をされ酷いイジメも受けたし2次障害にも苦しみました。

娘によく言われるのですが

「お母さんは自己肯定感が低い」と。


何故なら私が子供の頃は発達障害という認知度が、まだ日本にはなく「落ち着きがない子供」

「ダメな子供」「勉強ができないやる気のないバカな子供」そんな認識な大人や社会の中で育てられ「どうして自分は周りの子が当たり前にやれる事ができないのか?」というジレンマもあり、他者(特に大人)との距離感を上手くとる事ができず、とても苦しみました。

聴覚過敏症もあり団体行動も苦手、家族以外の人の前で食事をする事も苦痛だった私は学校というものが地獄でした。

今の私しか知らない人には驚かれた上に中々信じてもらえませんが本当におとなしくて人見知りが激しく小さくて細くて泣き虫で虚弱体質でドンくさくて、あだ名は「骨皮筋えモン」

学校が嫌で嫌でストレス性の胃潰瘍で入院したり、蕁麻疹、慢性膀胱炎、月曜日の朝は必ず下痢、嘔吐で小学3年から完全な不登校児なりました。

そんな私の生きがいは音楽でした。

バンドをやっていた父の影響もあり人見知りが激しく物静かな子供だったけど人前で歌ったり踊ったりするのが大好きで、のど自慢大会に出たり、親戚一同が集まると歌を披露して、お小遣い稼ぎしたりするのが楽しみでした。

今では、すっかり音痴になりましたけど全くなんの才能もない私でしたが唯一自慢できたものが音感でした。

1度聴いたら練習しなくても歌えてしまう才能だけはありました。

16歳の時に「京都の恋」で有名な渚ゆう子さん本人の前で歌った時に

「貴方何歳なの?色っぽい艶のある他人を引きつけるイイ声ね」と、とても褒めてもらえて嬉しかった事がありました。


どんなに辛い事とか悲しい事があっても歌う事でストレス発散し自分自身を保っていました。


今でもクイズドレミファドン🎶に出たら優勝できるんじゃないか?ってぐらいイントロで直ぐに曲名を当てるので娘にスゲー!!と言われます。


今回、ビリーさんの「ロックで療育」を読ませて頂き音楽とは療育、コミニュケーション、学習、優しさ、強さ、沢山の事を学べる大切な事だと再認識させて頂きました。


発達障害は健常者に比べ、何事も成長が遅れがちですが反対に健常者の方に比べて伸びしろが長く限りない才能を持つ方々が多いです。


実際私は40歳過ぎるまで裁縫なんて全くできませんでしたが(聴覚過敏ありなので未だミシンは使えません)独学とゆーか適当なんですけど今はなんでも手拭いで作ってしまう趣味?特技?ができました。

ちなみに私の作るドール人形の洋服は型紙は全く使用しておらず感だけで作成してます。


20代の頃母に「私の良い所言ってみて」と尋ねたら母が凄く困った顔をしながら引き攣った笑みで、はぐらかされた事がありました。


実はそれが物凄く私にとってはショックでトラウマになっていて自己肯定感が低い原因にもなっていたんだけど、ビリーさんの本を読み終わった後に勇気をだして母に電話をし

「お母さん私の良い所教えて」と聞いたら

「沢山あるよ。努力家で優しくて、お母さんの自慢の娘だよ。貴方の障害に早くに気付いてあげれなくて叩いたり、叱ったりしてばかりいてごめんね」と言ってくれ、長年苦しんできた自分自身の存在を認めてもらえてドロドロしていた気持ちや、父や母を憎んでいた部分を持つ自分への折り合いがつけました。


そんな、きっかけを作って頂いたビリー諸川さん、福山蓮次さんに感謝申し上げます。


この本は時々クスっと笑えたり、感動なドラマがあったり、時には涙ありの素晴らしい本です。

1人でも多くの方に是非読んで頂きたい1冊です。


そして障害の有無関係なく優しい社会になってほしいと願うばかりです。





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